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福岡高等裁判所 昭和28年(ネ)623号 判決 1954年10月29日

控訴人 被告 古賀助二

訴訟代理人 田中廉吾

被控訴人 原告 タネこと古川夕子

訴訟代理人 石動丸源六

主文

(一)  原判決をつぎの通り変更する。

(二)  控訴人は被控訴人に対し別紙不動産目録一一の家屋から退去しなければならない。

(三)  控訴人は右目録一ないし八の土地、及び九のうち、二四五番の二畑一畝歩の土地、竝びに一〇のうち、右(二)の家屋の敷地部分以外の土地に各現在耕作栽培中の農産物の収穫を終えた後右各土地に立ち入り耕作栽培してはならない。

(四)  被控訴人その余の請求を棄却する。

(五)  訴訟費用は第一・二審を通じ控訴人の負担とする。

(六)  本判決は右(三)項(五)項にかぎり(但し(三)項は同項の収穫を終えたる後)仮りに執行することができる。

(七)  控訴人において金一五万円の担保を供するときは前項の仮執行を免れることができる。

事実

控訴人は「原判決中控訴人の敗訴部分を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実及び証拠の関係は、

控訴人において、(一)本件不動産が被控訴人の所有であることを認めた原審及び当審の自白は事実に反するからこれを撤回する。即ち、本件不動産のうち、家屋は、元古川岩造の所有であつたが、昭和二六年四月一五日同人の死亡により妻たる被控訴人と、実子である訴外古川初海・藤田スミ・林田トミ・古川タマル及び控訴人の妻古賀テルヨが共同相続によつてその共有権を取得し、現在以上の者の共有財産である。また、本件不動産のうち、土地は、総べて古川岩造の所有であつたが、同人所有の他の土地と共に、同人の被控訴人間に生れた古川勇夫に贈与され、昭和二一年五月二日古川勇夫の死亡により、古川岩造と被控訴人とが、直系尊属として、遺産を共同相続し、もつて両名の共有となり、ついで古川岩造の死亡により、同人の持分については、被控訴人及び前記古川初海以下五名の相続人が共同相続したのである。

(二) 従つて、本件不動産は被控訴人の単独所有ではなく、被控訴人と古川初海外四名計六名の共有財産であり、控訴人の妻はもちろん、古川初海・藤田スミ・林田トミ等はいずれも控訴人が本件家屋に居住し、かつ土地を耕作することを認容しているのであるから、被控訴人が単独で控訴人の居住・耕作を拒否しうる権利のないのは多言を要しない所であるばかりでなく、本件調停の当事者は、古川岩造と控訴人であるので、該調停により成立した同居・耕作を内容とする契約を解除するには、古川岩造の相続人全員よりこれをなすことを要し、相続人の一人であるに過ぎない被控訴人のなした解除の意思表示は無効である。

(三) 本件土地のうち(イ)相知町大字楠字本谷二四五番畑五畝二〇歩(別紙目録九)は昭和二六年四月二〇日同番の一山林四畝二〇歩及び同番の二畑一畝に分筆地目変更の登記がなされ、控訴人が耕地として耕作しているのは、右畑一畝の部分にすぎない。また(ロ)相知町大字楠字大原八一四番の一田一反一七歩(別紙目録一〇)は、古同日に、同番の一田五畝八歩と同番の三宅地一五三坪とに分筆地目変更の登記がなされ、控訴人が耕作しているのは田五畝八歩の部分だけで、宅地は本件家屋の敷地となつている。(ニ)それ故控訴人が現在耕作していない。右の山林及び宅地について、控訴人に対して立ち入り耕作することの禁止を求める被控訴人の請求は不当である。

(四) 本件土地のうち、相知町大字楠字桑の木谷二六一番の二田六畝歩(別紙目録七)は、昭和一八年四月以来控訴人の妻古賀テルヨが耕作してきたものであり、その他の土地は控訴人が古川初海から、古川岩造の生前に、同人夫婦承認の下に耕作権を譲り受けたものである。

(五) 被控訴人の主張に対し、控訴人が被控訴人方に同居するにいたつた当時、その主張のような事情で、被控訴人方は、同人夫妻だけであつたこと、及び主張のように、古川岩造の持分放棄の形式により、本件土地について被控訴人単独の所有権取得登記がなされたことは認めるけれども、持分放棄の事実は否認する。右は実質上持分の贈与による所有権取得の登記であるとしても、佐賀県知事の許可のない持分の移転であるから無効であり、また昭和二二年中本件不動産の所有権を取得したとしても、登記を経ていないから、控訴人に対抗できないと述べ、

被控訴人において、(一)被控訴人の夫古川岩造は、昭和一七年一月頃、同人と被控訴人との間の長男勇夫と、岩造の先妻ユクとの子古川初海とに対し、自己の財産を四対六の割合で分与し、当時戸主であつた岩造は、これと同時に隠居し、昭和一九年六月一九日被控訴人及び長女タマル並びに長男勇夫を伴れて、新築の本件係争家屋に転居し、名実ともに分家したのであつた。そして、本件家屋は係争土地とともに、右財産分与により、勇夫の取得したものであるが、当時相知町吏員の漠然とした因襲的な見方から、右家屋を分家戸主たる岩造の所有名義に取扱つた過誤により、引き続き現在も法務局の家屋台帳に、そのまま同人名義に登載されているに過ぎない。それゆえ、昭和二一年五月二日勇夫が死亡し、直系尊属として、岩造及被控訴人が右勇夫の遺産を共同相続し、本件不動産を共有していたところ、岩造はこれを被控訴人の単独所有とするため、自己の持分を放棄したので、総べて被控訴人の単独所有に帰属したのである。しかして土地については昭和二五年四月四日と同年一一月四日(係争地はこの日)に、それぞれ持分放棄により、岩造の持分につき、被控訴人への持分移転登記を終了したが、持分放棄を原因とする持分の移転登記には、知事の許可を要しないので、右移転登記をなすにつき知事の許可は得ていない。係争家屋は新築の未登記のものであるため、現在においても被控訴人において、所有権取得の登記を経ていないけれども、控訴人に対しては、登記なくして所有権の取得を対抗し得るものと解する。以上の点が理由がないにしても、被控訴人は、岩造の生前同人と協議の上、控訴人に対し、本件家屋からの退去及び耕作禁止を請求して、本件調停解除の意思表示をなしたので、これによつて有効に解除されたものというべきである。かりに、右の点が認められないとしても、被控訴人は本件不動産について、占有権を有するものであつて、その故にこそ、控訴人との同居契約をなして、同人を係争家屋に同居させ、土地の耕作を許してきたのであるから、この占有権に基いて、被控訴人の単独で調停契約を解除しうるのである。従つて、以上いずれの点からしても、控訴人は本件家屋から退去し、かつ、係争土地の耕作栽培を廃止する義務がある。しかのみならず、本件調停の主たる当事者は、岩造というよりも寧ろ被控訴人であつて、岩造は被控訴人と控訴人との調停契約に承諾を与えたにすぎないのであるから、対控訴人関係における調停上の権利義務は、被控訴人単独のもので、右調停上の岩造の権利義務(地位)は同人の相続人によつて承継される性質のものではない。

(六) 相知町大字楠字大原八一四番の一田一反一七歩(別紙目録一〇)が控訴人主張のように分筆地目変更されていることは認めるが、宅地一五三坪は現況畑として、控訴人が、菜その他を栽培しているので、その立入り耕作を禁止する必要がある。原審及び当審における被控訴人の主張事実に反するその余の控訴人の主張事実は総べて争うと述べ、

被控訴人において、甲第三号証の一・二、第四号証を提出し、当審証人藤井弘人・藤井タマルの各証言、当審被控訴本人の尋問の結果(第一・二回)を援用し、左記乙各号証の成立を認め、控訴人において、乙第四号証の一から四まで、第五号証、第六号証の一から八まで、第七号証の一から二まで、第八号証を提出し、当審証人古川初海・古賀テルヨ・古川富里の各証言、当審控訴本人の尋問の結果を援用し、甲第三号証の一・二、第四号証の成立を認むと述べ、

た以外は原判決の「事実」に記載されている通りであるからこれを引用する。(但し、原判決四枚目表九・一〇行の「田中穀文・提茂」とあるのは「田中毅文・堤茂」の誤記であり、また、同一行目の「乙各号証の成立を認めた」とあるのは「乙第一・三号証の成立を認め、同第二号証は不知と述べた」の誤であるから訂正する。)

理由

一、当事者間に争のない事実

控訴人は被控訴人の娘古賀テルヨの婿であつて、別紙不動産目録一一の家屋において、被控訴人と同居し、同目録一ないし八の土地及び同目録九のうち二四五番の二畑一畝歩並びに同目録一〇のうち八一四番の一田五畝八歩を耕作していること、被控訴人方においては昭和二六年四月一五日死亡した、同人の亡夫岩造の生前に、娘は皆他家に嫁し、被控訴人と岩造との間に生れた男子勇夫は、昭和二一年五月二日死亡したので、被控訴人ら老夫婦だけで、右家屋に居住し、別紙目録記載の土地を耕作していたところ(但し同土地全部を耕作していたか、一部だけであつたかは争がある)、その後、控訴人及びその家族が、被控訴人夫婦と本件家屋に同居することとなつて居住中、昭和二五年に至り岩造が原告となり控訴人を被告として、本件家屋からの退去及び土地耕作禁止の訴訟を提起し、これが調停に付され、被控訴人も利害関係人として調停に参加した上、同年七月一五日被控訴人主張のような調停が成立したことは、当事者間に争がない。

二、調停成立までの事情とその後の当事者の関係

成立に争のない乙第四号証の一・三及び原審控訴本人の尋問の結果によると、控訴人は今次の大戦に海軍軍人として出征中、終戦により、昭和二一年三月広島に帰国上陸して、引続き同地の刑務所に服役して出所し、昭和二二年五月、自己の本籍地である佐賀県小城郡北多久村大字多久原の実家に帰宅したのであつて、被控訴人らと前示のように同居するようになつた日時は、昭和二三年五月であることが認められ、これに反する証拠は存しない。成立に争のない甲第四号証、原審証人片倉恵一(第一・二回)、同古川富里、同堤茂、同宮副龍研、同古川ミツノ、同木村喜作の各証言、同古川初海・同古賀テルヨの各証言の一部(いずれも後記採用しない部分を除く)、原審及び当審証人藤井タマルの証言、原審及び当審第一・二回被控訴本人の尋問の結果を、右認定事実並びに一の当事者間に争のない事実に合せ考えると、被控訴人夫婦と本件家屋に同居するにいたつた当時、控訴人は、刑務所を出所し帰郷後一年位の、いまだ安定せる職もなく、漸く未墾地の開拓に従事したばかりの時で、主食等も配給を受けて生活していた折柄であつたし、一方被控訴人ら夫婦は既に老令で、岩造は明治二年生れの当時七九才、被控訴人は明治一七年生れで当時六四才位に垂んとし、かつまた、岩造は老衰のため殆んど農業に従事することは不可能であつて被控訴人ひとりでは農業の経営を維持するのにも困難を感じていたところから、片倉恵一ら親族の斡旋もあつたので、被控訴人の女婿にあたる控訴人ら一家の者を、被控訴人方に同居させて本件土地を耕作させ、もつて、被控訴人ら老夫婦の面倒を見させることとし、かたがた、これによつて控訴人ら一家の者も生活上の利益を受けることとなるので、いわゆる一挙両得の意味で同居するに至つたのであり、それに、被控訴人夫婦も、内心同居生活が円満に続いていくようであれば、将来控訴人らを養子となし、(乙第四号証の三によると、控訴人の妻テルヨは、被控訴人ら夫婦においてこれを認知した旨の届出がなされているけれども、右テルヨは、被控訴人とその先夫との間に出生した者で、しかも被控訴人はテルヨの出生後四年以上を経た大正一〇年一〇月二二日岩造と婚姻同居したことが明らかであるから、右認知は事実に反するものである)財産も譲る考を抱いていたのであるが(控訴人主張のように縁組の予約がその頃又はその後においても成立したことはない。)被控訴人は生来仲々の勝気で、我執も人一倍強く、言い出したら容易に退かない性質であり、一方控訴人は、性質粗暴短気で、海軍における軍隊生活の悪影響も手伝つてか、暴言、暴力的行動に出でる性癖を有し、被控訴人ら老夫婦の正意を迎えて順うという長老敬愛の念に欠ぐる所があつて、被控訴人に対し、屡々暴言を発し、暴力を振い、時に殴打するの暴挙を敢えてしたことがあるばかりか、岩造名義の文書を偽造し、同人名義をもつて、農業協同組合から擅に金一万円を借用したことすらあり、かくて、被控訴人夫婦と控訴人らとの間には、風波の絶え間がない状態となり、遂に昭和二五年三月頃には、岩造が原告となつて控訴人を相手取り前示の訴訟を提起するに至つたが、幸にも前記調停成立の運びに至つたのにもかかわらず、被控訴人夫婦と控訴人との関係は依然として改まることなく老衰していた岩造はともあれ、被控訴人と控訴人とは双方ともによき姑婿として、調停の精神に従い謙愼順和の念をもつて真摯に円満な協同生活を維持継続しようと努力した形跡は少しもなく、(岩造とその先妻ユクとの二男初海とは相当永い間被控訴人において同居を継続したのに割合に平静であつたのに引きかえ)控訴人と被控訴人との間柄は従前にも増して悪化の一路を辿り、互に口論暴言を吐いた末は、[言高]々として感情の激発をきたし、控訴人は老令の、しかも姑たる被控訴人に対し罵詈雑言し、時にあるいは暴力的行為に訴えるので、被控訴人は、一部性癖の然らしめる所あるとはいえ、再三難を隣家、親族らの家に避けて一夜の宿泊を求めるなどのことは、些かも調停前と変らず、これより先、調停成立後久しからずして、被控訴人は先の調停に関与した、調停委員に再調停を申出でたことすらあつて、時を経るに従い、到底控訴人との同居生活の継続を期待し難い事態に立ち至つたため、昭和二六年三月には、岩造との協議に基く被控訴人の要請により、いわゆる親類一同が集り種々協議した末結局被控訴人夫婦の意をうけ同夫婦のために控訴人に対して本件家屋から退去して別に自活の途を求むべく要求し、もつて、調停の解除を申し入れたという事実さえあつたのである。(これによつて、本件調停は解除されたと見うるのである。なお、後記三の(5) 参照)そして、同年四月一五日岩造死亡し、その初盆のためにきていた来客に対し膳を出した際の如きは、格別の理由もないのに、控訴人は被控訴人の話が気に喰わぬとて大声を発して、右膳をひつくり返すの乱暴を働き、また、昭和二七年三月頃には些細のことから、控訴人は畑にいた被控訴人を押し倒してその崖下に顛落させもつて骨折を生ぜしめるの暴行傷害を加えたため、被控訴人は唐津市所在の青木整骨医院に七回通院して治療を受けたことすらあるのに、同年四月一日頃には、(被控訴本人の原審における供述中昭和二六年四月頃とあるのは(記録一六七丁)昭和二七年四月頃の誤りであることは、原審証人重松清市の証言に徴し明らかである)被控訴人が他から自己の養子を迎えることについて控訴人に相談したことに端を発し、控訴人から矢庭に蹴りつけられるなどの暴行を加えられるという有様で、しかも炊事その他の生計は全く別個にしていて、姑婿・親子の同居とは名ばかりの凡そ異常の懸殊隔意の状態に立至り今後長くもない余命を控訴人らとの同居という険惨不愉快極まるしかも援引よるべのない生活を送る心もとなさに堪えかね、人の勧めもあつて、愈々正式に養子を迎えて、これに老後を託することを決意し、その旨控訴人ら夫婦にも告げて、昭和二七年五月一日宮副久利と養子縁組をなし、同人と本件家屋に同居して待望の生活をなすばかりとなつているけれども、本件家屋は、居室として漸く六畳・四畳半・三畳の三間しかないのに、六畳は被控訴人が、他は控訴人一家の者が使用し、かつ、控訴人において後記認定の通り主文(三)項の土地を耕作栽培しているため、養子との同居による生活を阻ばまれている事情にあること等の事由により、遂に本訴を提起するに至つたこと、しかして前記調停の趣旨はこれにより新たに控訴人に対し同居竝びに耕作の権利を設定したものではなく、前叙当初同居するに至つた際の、親族同居し互に扶け合い耕作するという関係を継続して、当事者双方の家庭の円満な相互の協同生活を築くべく約定したものに過ぎないことの各事実を認めることができる。以上の認定に反しあるいは反するかのような原審証人古川初海、同重松清市、同内川ミヨ、原審及び当審証人古賀テルヨ、原審及び当審控訴本人の各供述は採用しない。乙第一号証ないし第三号証は右認定の妨げとならないし、その他に右認定を覆すに足る証拠はない。

三、本件調停の解除の有効・無効の争についての判断

(1) 控訴人は、原審においてはもとより、当審第一回口頭弁論期日まで、本件不動産が総べて、被控訴人の所有であることを認め、当審第二回口頭弁論において右自白を取消し、係争不動産は事実摘示(一)のように被控訴人ら六名の共有であるから、同(二)に記載のような事由により被控訴人の単独でなした、調停の解除は無効であると主張し、被控訴人はこれを争うので考えると、控訴人提出援用の全証拠はもちろん、本件記録並びに口頭弁論に現われた一切の証拠・訴訟資料によつても、本件不動産が被控訴人の単独所有でないとの心証を惹起させるものはない。もつとも、成立に争のない乙第五号証及び当事者弁論の全趣旨によると、本件家屋は、家屋台帳上亡古川岩造の所有として、登録されているのであるが、前記乙第四号証の一、成立に争のない乙第六号証の一ないし八、第七号証の一ないし一二、甲第四号証に当審証人古川初海・同藤井弘人の各証言の一部及び当審被控訴本人第一回尋問の結果及び当事者弁論の全趣旨を合せ考えれば、古川家の戸主であつた古川岩造は、昭和一七年一月一三日隠去して家督を同人と亡妻ユク間に生れた二男初海に譲り、その頃前記勇夫と初海とに自己の財産を分与して、被控訴人及び勇夫と共に当時新築された係争家屋に移居し、ついで、昭和一九年六月一九日戸籍上分家の手続をとり、その間、従来居住の家屋すなわち、いわゆる本宅は初海の所有とし、係争家屋は勇夫の所有と定め、なお勇夫に分与した不動産のうち、土地だけは同人名義に所有権移転登記を経了したのであるが、係争家屋は岩造夫妻において新築したばかりのものであつて、勇夫はいまだ少年ではあつたし、又同家屋が未登記のものであつたため、居村役場の家屋台帳には、岩造の所有として登録せられ、勇夫名義に所有権取得の登記がなされるに先だち、同人が死亡したので、岩造と被控訴人との両名において共同相続人となつたところ、岩造は昭和二二年一二月下旬頃被控訴人との間に係争不動産及びその他の不動産を被控訴人の単独所有とすることを協議決定し、被控訴人の女婿藤井弘人に関係登記済証や古い登記簿謄本を交付してその登記手続を依頼したのであるが、(恐らく相続放棄の期間が経過していたためであろうか)亡勇夫から直接被控訴人の単独所有となす所有権移転登記は手続上できないというので、既登記の不動産については、同月二四日岩造と被控訴人両名の共有名義に相続による所有権移転登記を経了した(係争土地が元勇夫の所有で右両名が共同相続したことは争がない)のであるが、係争建物は未登記であつたために、一つは格別被控訴人の所有に移転登記をなすことを急ぐ事情もなかつたので、これが登記をなすことを遺漏し、ついで、山林原野等農地以外の土地(係争外のもの)については、昭和二五年四月四日岩造の共有持分につき贈与による被控訴人への所有権移転登記をなし、係争土地については、同年一一月四日岩造の持分放棄を原因とする被控訴人への所有権移転登記の経了されたこと(この登記の点は当事者間に争がない)が認められ、これに反する証拠はない。右認定に徴すれば、係争家屋は昭和二二年一二月下旬被控訴人の所有に帰したことが明らかであり、係争土地は、遅くとも右登記と共に完全に被控訴人の所有に帰属したものといわねばならない。従つて控訴人の前示自白の取消はこれを認容し得ない。(なお左記(2) 以下参照)

(2)  しかるに控訴人は、本件土地中農地については、所轄佐賀県知事の許可を受けないで、右のような持分の移転登記がなされているので、右持分の移転が実質上贈与であるとしても、持分移転の効果を生じないと主張し、右持分移転登記につき、許可を得ていないことは、被控訴人の認める所であるが、前認定のように右持分移転登記の原因は、岩造の相続した土地の共有持分の放棄であつて持分の贈与ではないのである。そして、共有持分の放棄が、他の共有者に対する贈与の動機をもつてなされた場合といえども、他の共有者が放棄された持分を取得するのは、法律の規定(民法第二五五条)によるのであつて、放棄という単独行為の効果意思によるものではない。放棄によつて放棄者は共有関係を離脱する結果、その持分は他の共有者に帰属するのであつて、これは相続人のない共有権者の死亡によつて、同人の共有持分が、法律の規定によつて、当然他の共有者に帰属するのと同一例である。しかるに、当時施行の農地調整法第四条・同法施行令第二条・同法施行規則第六条によれば、これら法令の規制しようとする農地所有権の移転というのは、農地所有権の移転自体を目的とする行為(競売や公売のような処分行為を含む)によるそれであつて、例えば、被相続人の死亡によつて、相続人が農地の所有権を取得するがごとく、他の原因事実に起因して、農地の所有権の移転が行われる場合には、少し極端な例ではあるが、かりに、被相続人が自己の農地を商業に専念する相続人に無償譲渡する意図をもつて自殺したとしても、該相続人への相続による農地の所有権移転については、前示法令の規制が及ばないのと等しく、共有持分の放棄による、当該持分の他の共有者への帰属については、前記法令の適用がないと解するを相当とする。また農地の取引等に及ぼす経済的社会的影響の点から考えて見ても、昭和二三年法務省(当時法務庁)民事局長は、各法務局長宛通達して、農地の共有持分の放棄による持分移転登記には、不動産登記法第三五条第一項第四号の許可を証する書面として、知事の許可書を必要としない趣旨の行政指導をなし、これに従い、各登記所において登記事務を処理していることは、当裁判所に顕著であるところ、これを控訴人主張のように、共有持分の放棄による、他の共有者への帰属につき、知事の許可を要するとの見解を採らんか、従来既に、適法としてなされた知事の許可なき農地の持分放棄を、原因とする持分の移転登記は、悉く違法無効となりおわるばかりでなく、右登記に基因する爾後の農地の取引も、悉く無効となつて、甚だしく農地の取引を混乱させ、惹いては、これに伴う経済の不安動揺をきたすに至るであろうことは必至である。すなわち、控訴人の前示抗弁は到底採用し難い。

(3)  つぎに控訴人は、たとえ、被控訴人が本件家屋の所有権を取得したとしても、その登記を経ていないので、所有権の取得をもつて控訴人に対抗できないと主張し、被控訴人はこれを争うので、便宜この点と一括してここに、控訴人の本件土地の耕作及び係争家屋使用の法律関係についても判断する。

控訴人が本件家屋に被控訴人らと同居し、主文(三)項の土地を耕作する(なお後記四参照)に至つた事情、調停成立の経緯、その内容等の詳細は、先に認定した通りであつて、右は単なる使用貸借や賃貸借をもつて目すべきものではない。もしこれを使用貸借または賃貸借と解すれば(控訴人は調停によつて賃貸借が成立したと主張するが、その採用し得ないことは原判決説示の通りであるから、これを引用する。なお以下の説示参照)、係争土地に関するかぎり、これについて当時施行の農地調整法第四条・同法施行令第二条・同法施行規則第六条により知事の許可を要するところ、当事者弁論の全趣旨によると右調停についても、また、最初の同居の際にも許可を得ていないことが明らかであるから、控訴人は同土地を耕作する権限を有しないものといわねばならない。(前示法令は強行法規であるから、当事者の主張の有無にかかわらず、該法令違反の事実については裁判所はこれを適用すべき職責を有するのである。)単に物を使用して収益するという面だけを把握して解すれば、委任または管理における委任者・管理委託者の所有物・請負における注文者の所有物、雇用における使用者の所有物の各使用を許されて収益する場合においても、当該受任者・管理者・請負人・労務者は、右の物を使用して収益するのであり、右のごときはまた夫婦の一方が他の配偶者の物を使用収益する場合においても、等しく見られる現象である。これらが使用貸借・賃貸借と異るのは、後者は物の使用及び収益それ自体を目的とするに反し、前者は然らずして、他にその本質ないし目的を有する点に存するのである。いうまでもなく同居の親族が互に扶け合う義務あることは、道徳的規範であると同時に、現行民法の下においては、法律的規範でもあるのである(民法第七三〇条)。前示調停はこの規範を実現して、被控訴人ら夫婦と、控訴人ら一家の生活の安定を図るという高次の目的を達成するためになされたもので、その目的達成のためには、控訴人ら一家が本件家屋に同居して、本件土地を耕作することが必要でありまた最も便宜でもあつたので、右目的達成の手段・方法たる同居・耕作が一連不可分的に、調停の内容に取り入れられ調停の条項をなすに至つたものと認めるのが相当である。かかる事実関係において、本件家屋に同居する控訴人は、同居する家屋の所有権の変更・消滅について、法律上重大な利害関係を有することは言を俟たないから、被控訴人の本件家屋所有権の取得登記の欠缺を主張しうる、民法第一七七条の正当の利益を有する第三者といわねばならない、しかしながら、成立に争のない甲第二号証及び原審被控訴本人の尋問の結果竝びに原審控訴本人の供述(特に記録一七五丁裏)、先に認定した事実及び当事者弁論の全趣旨によつて認めうる、亡夫岩造名義に存する固定資産税賦課の対象たる固定資産は、本件家屋だけであること、並びに控訴人が当審第一回口頭弁論まで係争家屋が被控訴人の所有たることを認めていたその口頭弁論の全趣旨を合せ考えると、控訴人は本件家屋が被控訴人の所有たることを、当然自明のこととして承認したことはもとより、これを前提として、被控訴人との法的関係に立つて、同居の上、事を運んできたことが認められるので、結局控訴人の登記欠缺の抗弁も採用に値しない。

(4)  調停上の岩造の地位の承継

以上の各認定事実に依れば、本件調停の一内容を成す土地の使用耕作関係は、昭和二五年一一月四日被控訴人単独の所有権取得登記をなすと同時に、被控訴人は調停の広義の当事者として、調停の拘束を受けて、おのずから被控訴人対控訴人の関係に転移したことになるけれども、調停契約そのものは、依然被控訴人ら夫婦と控訴人との間に存続したものと解すべく、また、前説示の、昭和二六年三月の解除によつて調停が消滅しなかつたと仮定して考察しても、同年四月一五日岩造死亡の後、係争家屋が被控訴人の所有たることを、控訴人が承認し、これに同居を従続せること、前認定のごとくである以上被控訴人は係争家屋の所有権取得の登記を経由することなく、控訴人に対し、同家屋の所有権者たることを主張しうるのであつて、係争土地家屋の使用収益は、なんらの支障なく従来と同様に、控訴人においてこれをなしきたつたことは当事者弁論の全趣旨に照らし明白であるから、かかる場合、岩造の死亡後の調停上の同人の権義(地位)は総べて被控訴人において、これを承継したものと解するを相当とするので、被控訴人は、単独で控訴人に対し、本件調停を解除しうる地位にあるものというべきである。されば、岩造の死亡により係争不動産が被控訴人外五名の共有に帰したことを前提とし、調停の解除権は共有者全員に存する旨の控訴人の抗弁は、その前提を欠くが故に、結局採用に値しない。

(5)  調停解除の事由

本件のように、同居耕作して親族の扶合を実現することを目ざす、調停契約は、濫りに当事者の一方から、これを解除し得ないのは当然であり、その解除権の行使は、信義誠実の原則に遵い、いやしくも権利の濫用にわたるようなことがあつてはならないのは、当然自明のことに属するけれども、解除権を行使される相手方に過責の存することは、必ずしも要件ではなく、社会の一般観念に照らし、契約の継続を期待し難い重大な事由があるときは、たとえ、解除権者に過責の存する場合においても、それが信義に反せず権利の濫用にわたらない限り、これを解除しうるものと解するを相当とする。本件においては、先に二に附言した通り、被控訴人が岩造と協議の上、いわゆる親類会議を介して、昭和二六年三月控訴人に対し、調停解除の意思表示をなした当時、既に社会の一般観念に照らし、調停契約の継続を期待し難い重大な事由が存したものというべきであるから、本件不動産が被控訴人の所有に帰したか否かを審査するまでもなく、これによつて、本件調停は有効に解除されたというに妨げないのである。しかし、いまこの点はしばらく措いて、前記二認定のように、調停成立から本訴提起に至るまでの事情が、前説示にいわゆる重大な事由あるときに該当することの疑なき以上、かかる事態に立ち至つたことについて、被控訴人に過責の軽からざるものあることは否定し得ないけれども、控訴人の有責は、被控訴人のそれと比較しより重しとすべく、かつまた、被控訴人が前認定の事情の下に調停を解除することをもつて信義則を破り、権利を濫用するものとはいい難いので、前記調停は本訴訴状の送達によつて終局的に解除された(訴状の送達が昭和二七年八月五日であることは記録上明らかである)ものといわねばならない。

四  家屋よりの退去と耕作禁止の請求について

叙上説示のような事情の下に、本件調停が解除された以上、格別の事由のない限り、被控訴人は控訴人に対し家屋よりの退去を求めかつ、係争地に立ち入り耕作することを禁止しうべきである。

しかるに控訴人は、(1) 別紙目録七の土地は昭和一八年四月以来控訴人の妻テルヨが耕作してきたものであり、その他の係争地は控訴人が被控訴人ら夫婦の承諾を得て古川初海から耕作権の譲渡を受けたものであると主張するのであるが、右主張事実は先に認定したところと牴触するばかりでなく、該主張に相応する原審証人古賀テルヨの証言及び、原審竝びに当審控訴本人の尋問の結果は信用しない。却つて当審証人藤井タマルの証言及び当審第一回被控訴本人の供述によると、右七の土地は同居まで同人ら夫婦において耕作してきたことが認められるのである。(2) 控訴人の事実摘示(三)の主張について判断する。前記乙第七号証の一〇・一一によると、別紙目録九の畑五畝二〇歩は控訴人主張のように分筆・地目変更されて昭和二六年四月二〇日被控訴人においてその登記を了していることが認められるので、他に特別の事情のない限り控訴人の耕作しているのは、そのうち畑一畝歩と認めるの外はない。別紙目録一〇の田一反一七歩は控訴人主張のように分筆地目変更されていることは当事者間争なく、宅地一五三坪の地上に係争家屋の存することは原審控訴本人の供述及び当事者弁論の全趣旨に徴し明らかであるけれども、右土地を控訴人が耕作していることは控訴人の当審第一回口頭弁論まで自認したところであるし、(当審において該自白を取消したが後記の通り一部についてのみ取消は認容しうる)係争家屋の建坪が一四坪であることの当事者間に争のない事実と原審被控訴本人の供述とを合せ考えると、右宅地一五三坪より家屋の床地及びその周辺の相当部分(便宜敷地部分と称する)を除いた残余の宅地部分は、控訴人において耕作栽培しているものと推認するのを相当とするので、(すなわち、前示自白は、係争家屋の敷地部分については、経験則に照らし事実に反するものと認められるので、その取消は右限度において理由があるが、宅地一五三坪から右敷地部分を除いたその余の部分についての自白の取消は、右自白が事実に反することの証明がないので、これを認容しえない。)当該耕作栽培している宅地の部分及び前示目録九のうち、畑一畝歩についての、被控訴人の控訴人に対する立ち入り耕作禁止の請求は理由があるがその余の部分についての請求は失当である。

しかして、係争土地中控訴人が現在耕作栽培している作物は、控訴人に収穫させるのを相当と認めるので(被控訴人から附帯控訴もないのである)、該作物の収穫を終えるとともに、控訴人の耕作栽培地への立ち入り耕作栽培することを禁止するをもつて足るものと判断する。

五、結語

よつて被控訴人の請求は叙上認定の限度において正当として認容しその余を失当として棄却すべく、これと符合しない原判決は変更せねばならない。よつて、民事訴訟法第三八六条・第九六条・第九二条但し書・第一九六条を適用し主文の通り判決する。

(裁判長判事 二階信一 判事 天野清治 判事 秦亘)

(不動産目録省略)

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